2019/11/04

「ついやってしまう」体験の作り方を読む。
昨日思った目的の表示が醍醐味を損ねているという話が出てくる。
遊んでくれている人が自ら仮説を立て試行して歓喜するように仕組む。
直接的な答えは出さない。

 

クオリティ、モチベーション、スケジュールの3軸で考えよう。

 

2019/11/03

利便性は人の心には残らない。
寄り道ができるのがゲームの醍醐味である。
その能動的な過程が愛着を生み体験となる。
目的を示し続けるのは数字を考えるといいが、醍醐味を失ってるのではないだろうか。


監督の本をよんで思い出す、夢水清志郎の存在を。
彼は赤い夢の住人だったが、自分も夢の住人だと大人になって気づいた。


人を考える。
ゲームは媒体だ。

2017/09/18

自分の認識を定着させるために文字に起こす。

 

映画を映画館で見ると気持ちがリセットされる。

それは環境的に閉鎖していて一つの物語に集中するからというのもあるが、予告なども含めこんなにもクオリティの高い作品が世の中には多く存在するんだということを再認識できるのが大きい。

映画が自分の感情を揺さぶった時、その揺さぶりを自分の作ってるものに込めたい、人の心を揺さぶられるものを作りたいと強く思う。

 

作るのに辛くなると実装部分しか見ないなど、最低限の働きしかしなくなる。

ジャッジを他人に任せるや先のことを見て見ぬ振りをするなどもだ。

常にユーザーがどう受け取るか、ユーザーの心を揺さぶれるかを忘れないように仕事していきたい。

 

他作品から勝手に喝を受けながら明日も本気で取り組もう。

 

VRへの手応え

運良くPSVRを手に入れることができた。

少しずつプレイをしていてVRエンタテインメントへの考えが膨らんできたので記事にする。

余談ではあるが、がっつりプレイはできてない。

なぜならペルソナ5が面白すぎるかつ時間がめちゃくちゃかかるから。まだ終わってない。

 

元々PSVRの登場は気になっていた。

色んなところで試遊会が行われていたがプレイや予約するには早くに並ぶ必要があるなどの要因があり、名前がユーザーに浸透しているのを感じながらも希少性の高さが目立っていた。

 

まず意外だったのが販売形式だ。

PSVRゲームはパッケージゲームも数点あるが基本的にダウンロード専用のものが多い。

しかも大体が無料のお試し系のやつかフルプライスでも2000円台と安い。

この選択にはとても賛同できる。

PSVRは一般家庭に導入されたと言っても依然未知の存在である。

どのような遊びが出来るか開発側もユーザーも手探りな状態だ。

そんな状態で他のパッケージゲームのよう6〜7000円もする価格設定だとユーザーは尻込みしてしまう。

「安価に安定した体験が複数提供されている」この状態がVRを浸透させていくにはとても重要だと感じる。

 

またVRゲームを作るに際して難しそうなのはUIだと感じた。

VRは空間体験だ。

今までのゲームは空間+神(プレイヤー)しか見えないUIによって成り立っていた。

VRではこのUI部分を空間内に落とし込まなければならない。

今後「Dead Space」のHPゲージのような表現が色々と出てくるだろう。

このUIの部分はゲームサイクルにとってとても重要だ。

RPGゲームで同じ敵を何度も倒すのは経験値などのパラメータが得られるからであり、その違いを表現しているのがUIである。

このようにゲームの要素やサイクルを繋げているのがUI部分であるため、UI部分が確立しない限り「何度も遊べて」「空間に没頭できる」≒フルボリュームVRゲームは生まれづらいと感じている。

 

しかしVRの幅はとても広いことは明らかである。

元々VRは映像のストーリーテリングに不向きなのではないかと思っていたが、ゲームプレイヤーにとってはそもそも自分の入力によって情報を取捨選択する体験が当たり前なので違和感なく物語を拾える実感を得た。

逆に映画ファンにとってはVR映像は情報が固定されていないため戸惑いを得るかもしれない。

 

つまり今までデジタルインタラクティブの代名詞はゲームであったが、VRはそれらを包括する別の次元でインタラクティブを提供するものということだ。

 

楽しい?

「仕事楽しい?」と聞かれることがたまにある。

その都度返答に困る。

何気無い一言だがこの中に二つ、聞いてくる人と自分に違いがあるんだと思っている。

 

一つは楽しさの時間的尺度。

仕事で楽しいと感じるタイミングはもちろんある。

場の空気が良くてポジティブに打ち込める時とか、時間をかけたものが一つの形になった時とか、もっと言えばリリースしたものが大ヒットしたら最高だ。

でもこれらの楽しさは瞬間的なものだ。

それに反して「楽しい?」と聞いてくる人は仕事している時間ずっと楽しいかという意味で尋ねているように思える。

そんなことは確実にありえない。

常に問題はあるし、苦労するし、生き残るためには努力が必要で自然体で居続けるのは難しい。

その「(いろいろあるけど纏めると)楽しい」の格好の部分が抜けている気がする。

 

二つ目は……ない。

書いていて気付いたが「格好」の部分が全てみたいだ。

本当は二つ目にエンタテインメントな仕事に対する印象について書こうとしていた。

でもこれも結論は同じだ。

「(いろいろあるけど纏めると)楽しい」

 

つまり二つというのは

 

やりたいことを仕事にすること。

エンタテインメントを仕事にすること。

 

この二つへの受け取り方の違いということだ。

確かに上記を満たしていないことと比べれば、楽しさ極まりないが今が理想ではない。

ゴールはない。

8月

8月になったのでブログを再開する。

8月とブログに関係性はないのだけど昨日一昨日の土日でリラックスをした結果、考えを文字に起こすことを久しくしていないことに気づいたからだ。

自分は考えが固まるまでに莫大な時間がかかる。

その工程で同じ思考を何十回と繰り返す。

この反復は考えているふりに過ぎないと思う。

その反復を削減するため文字に起こし答えを出す。

かつ人に見られる場にする事によって文章としての完成度を備える過程でより思考を整理しようという腹だ。

中身としては感性的な部分と自分を向上するのための施策を整理する事になるだろう。

側から読むと痛いと思われることを書くことも多々あるだろう。

しかしそれを踏まえた上でやろう。

朝に書き始めて、夜に途中から書いたらまとまりがなくなってしまった。